Jerrio's Cafe

店主Jerrioのよもやま話と音楽の世界にようこそ...

ヘルシンキでのこと、あれこれ

Posted by Jerrio on   0 comments   0 trackback

◆それは、お日柄の良い日だった...

ヘルシンキのシンボルといえば、ヘルシンキ大聖堂だろうか。この白亜の教会と、その前方に広がる元老院広場は思った以上に巨大だった。階段に座ってしばしくつろいだあと、建物の正面まで上がってみたが、開いているはずの入り口が閉じていた。この時期は9時から24時まで建物の中が公開されているはずだが、その日は昼間は公開中止、開くのは18時からと書かれた立て札が。どうりで観光バスはたくさん見えているのに建物の近くは閑散としているはずだ。

図1-fin2

図2-fin2

僕はこういうところでは、人のいない方に、ちょいと行ってみたくなる性質で、ひとけのない大聖堂の周りをぐるっと一周してみようと思い、右手側から裏手のほうに回ってみた。表とは全く違って何も無かったが、その裏手の建物のふちに一人ぽつんと座って黙々とアイスクリームか何かを食べている女の人がいた。うーん...日本人っぽい。年の頃なら30代半ばというところだろうか。正面の階段に座って眺望を楽しみながら食べればいいのに、何もこんなところでひとりポツンと...と思わないでもなかったが、まああまり詮索せず、そっと横を通り過ぎた。

正面から見て左手に当たる場所にさしかかったとき、完全に閉じられていた教会のドアが突然開いて、正装した人が出てきた。ここも広場からは見えない位置で観光客もいない。なるほど、公開中止は結婚式があったからなのだろう。どんどん参列者の人垣が大きくなり、やがて花嫁と花婿が姿を現す。ライスシャワーのあと記念撮影。その間にやってきた黒いアウディーに、誰かが空き缶を取り付けている。撮影が終わると花嫁と花婿はその車に乗り込み、あっという間にガラガラガチャガチャと賑やかな音を立てて去っていった。

図3-fin2

図4-fin2


その2時間後、海辺のマーケット広場前から出ている小さなフェリーにちょいと乗り込み、15分で到着する要塞の孤島、世界遺産のスオメンリンナ島へ行ってみたが、そこにあるスオメンリンナ教会でも、閉じられていたドアがスッと開いて、ぞろぞろと人が出てきた。またまた結婚式だったが、こちらは要塞の島にぴったりの海軍式で、ピリッとした中にも、とても暖かい雰囲気がにじみ出ていた。あるいは新郎は海軍の人だったのかもしれない。

図6-fin2

図7-fin2

しかし、偶然とはいえ、こんな風に結婚式に行き当たるのはラッキーなのだろう。このブログでも、「フィンランドで結婚式」なんて話を何度か書いたので引き寄せられたのかもしれない。日本だったら思わず「ついてるなあ。今日は大安なんだっけ。」となるわけだけど、その日はきっと、フィンランド的にもお日柄の良い日だったに違いない。


◆ハンドパンのイケメン青年は静かに笑った...

ヘルシンキの街角で、見たことも無いUFOのような打楽器を抱え、幻想的な音楽を奏でている青年に出くわした。指で弾いて鳴らす金属製のその楽器はスティール・ドラムのような音だが、単音ごとの余韻が素直に伸びて、独特なハーモニーで幻想的な世界をつくっている。足を止めて聴き入っている人も多く、その時はしばらく聴いてその場を離れた。

図8-fin2

その数時間後、今度はスオメンリンナ島のエントランス通路で、同じ人が演奏しているのに出くわした。ただそこでは、聴いていると突然、「私、ヘルシンキ市観光課の職員ですが、それが何か。」という感じの女性(私的見解です)が現れて、演奏が中断。

図9-fin2

「ちょっとすみません、ここで演奏されたら困るんです、世界遺産なので。いや、演奏は素晴らしいんですよ。でも、ほら、ここのところに書いてあるでしょ、この島で演奏して、チップを取ってはいけないっていう決まりなのよ。世界遺産だから...」
「あ、そうだったんですか。ずっと以前から演奏していたけど、そんなこと言われたの初めてです。でも、どうしていけないんでしょうね、世界遺産だと。 」
と、そこに、先ほどまで演奏を聴いていた女性二人が割って入って、

図10-fin2

「そうよそうよ、いい演奏だったじゃない。それにイケメンだし。世界遺産で、何が悪いのよ。」
詰め寄られた職員は、あくまでも毅然として、
「そんなこと言われても、私が決めたわけじゃないし。決まっていることなんです。申し訳ないけど。世界遺産なので。」
そのイケメン青年は、「分かりました。片付けます。世界遺産ですからね。」と、きっぱり世界遺産的に納得し、六角形のケースの中に溜まったコインを持参した袋に入れ、ケースに楽器を入れてふたをした。(とまあ、やりとりは多分フィンランド語だったので、せりふは全て僕の想像ですが。。。)

横でじっと僕も見ていたんだけど、片づけが終わって立ち去ろうとしていたその青年に、「その楽器、初めて見たんだけど、なんていう楽器なの?」と、英語で聞いてみた。少し沈んでいたイケメン青年は、一転、目をきらきらさせながらにっこり笑って、「色々呼ばれてるけど、一般的にはハンドパンかな。でも国によっては呼び方が色々あって、ロシアでは***、ドイツでは×××、オランダでは△△△、う~ん、他には○×△◇&#$%!?*・・・」

最初のハンドパン以外は全く忘れてしまったが、僕は丁寧に受け答えをしてくれたイケメン青年に、ありがとう、いい演奏だったよ、とお礼を言い、青年とは反対の方角を目指した。この楽器、本当にいい音がしていた。今度探してみようかな。


◆ムーミン谷はもぬけの殻かも...

さすがにこの年で、フィンランドといえばムーミンワールドに行かなきゃ、なんてことは考えないのだが、ヘルシンキ中央駅前にあるアテネウム美術館に旅程2日目の開館に合わせて訪れると、たまたまトーベ・ヤンソンの生誕100周年の大回顧展をやっていた。ムーミンの原作者として有名なトーベ・ヤンソンはヘルシンキの人であり、芸術家としての彼女の足跡を細かくたどった回顧展で、美術学校時代からずっと書き続けていた風景画や人物画、戦時中雑誌に掲載していた風刺画など、たくさんの芸術家としての作品、ムーミンの世界に繋がる変遷を年代を追って見ることができた。ムーミン関連の著作の原画も時代に沿って多数展示してあったが、著作以外でいえば、本国では、アニメーションではなく着ぐるみや人形劇の方がポピュラーなようで、その関連の展示も興味を引いた。

図11-fin2

図12-fin2

僕がテレビでムーミンの日本製アニメを見ていたのは小学生時代。日曜日の夜7時半、妹と二人でかなり真剣に見ていた覚えがある。その頃の「ムーミン」は、たびたび絵の感じが変わったが、その理由がトーベ・ヤンソンのダメ出しだったことを知ったのは後年のことだ。スノークの女の子、フローレンの名前が、原作には無い「ノンノン」で、しかも頭にリボンをつけたノンノンを覚えているとすれば、それは最も初期のムーミンを知っている、僕と同世代だろう。

回顧展を見終わって帰る頃、美術館のショップ前にリトル・ミイやスナフキン、それにムーミントロールやムーミンママが出現した。リトル・ミイを見ると、本で見たムーミンワールドの写真に出てくるリトル・ミイの役者さんなので、本物(?)のようだ。地元の子供たちが群がってきて大はしゃぎし、両親は遠巻きにながめたり、写真を撮ったりしている。

図13-fin2

うちの奥さんもリトル・ミイと写真を撮りたいというので、ちょっと抵抗はあったがお願いして撮らせてもらった。しばらくその周辺にいると、僕たちより幾分若い日本人女性から、「お願いしていいですか」とちょっと興奮気味にカメラを渡された。僕も愛想よく、「いいですよ」とムーミン達の中で楽しそうにポーズをとるその人の写真を数枚撮ってあげたのだが...よくよく見ていると、ムーミン達のそばにいるのは、地元の子供たちとそれなりの年齢の日本人女性たち、という不思議な被写体空間ができあがっていたのだ...う~ん、日本では懐かしいムーミンも、フィンランドでは息の長い子供達のための物語なんだろうけど、現地の親世代の目にはこの光景、どう映ってるんだろうね。

ところで、ここにムーミンたちがいるということは、今、ナーンタリ(ヘルシンキから2時間ほど)にあるムーミンワールドのムーミン谷はもぬけの殻ということでは...と、土曜日の午前中、出張中のムーミンたちを見つつ、ムーミンワールドで待ちわびている子供たちの心情を思い、同情したのでした。


◆カフェ・アールトで、出会ったのは...

賑やかなエスプラナーディ通りの最も西側の角にあるフィンランド最大のデパート、ストックマン百貨店の道を隔てた向かい側にアカデミア書店がある。この二つは地下で繋がっているが、アカデミア書店の建物はフィンランドを代表する世界的な建築家でありデザイナーである、アルヴァ・アアルトが建てたもので、吹き抜けで天窓のついた内装がとても美しく、その2階にカフェ・アアルトがある。

図14-fin2

図18-fin2

この書店内にあるカフェは、映画「かもめ食堂」で、小林聡美扮する主人公サチエが、片桐はいり扮するミドリを初めて見かけ「ガッチャマンの歌」の歌詞をたずねるシーンで使われた場所だ。日本人にとっても違和感の無い喫茶店で、制服姿のウェイトレスさんの雰囲気も含め、日本の百貨店にある喫茶店風であり、コーヒーもケーキもとてもおいしかった。

図16-fin

図15-fin2

ここでお茶を楽しんで、もうそろそろ行こうかな、という頃、うちの奥さんがスマホに何か文字を打ち込んで僕に見せてくれた。「となりの人、オトタケさん?」そう書かれていた。確かに横は男性2名、女性2名の日本人のようだったし、ずっと部分的に聞こえていた会話も日本語だった。横には車椅子のようなものがあったのは気づいていたのだが、その横で席についている人は、こちらに背中を向けていることくらいしか、気にしていなかった。

すぐに横を向いて確認するのも失礼だろうと、しばらくしてそれとはなく横を見ると、確かに著書「五体不満足」がベストセラーとなった作家の乙武洋匡さんのようだった。席についてすぐならともかく、もう随分長い間席を並べていて、今さら「いやー、乙武さんではないですか。一緒に写真撮ってください。」なんてちょっと言えない。多分そんなことを言われ続けている日本を離れ、せっかく異国の地で羽を伸ばしているのだから、知らないふりをするべきじゃないかな、いや、これだけの著名人に声をかけないのは、逆に失礼かな、なんてことをいろいろ思っているうちに、乙武さんたちは帰り支度をして、席を離れた。

後日、乙武さんのツイッターでアカデミア書店近くのマリメッコ前のソファーに座っている乙武さんの写真を確認、北欧を旅行中だったことを知ったんだけど...やっぱりこんな場所で、なかなか声ってかけられないものですね~。


◆雨どいのシールに出版社の社風を見た...

デザイン・ディストリクトと呼ばれる地域のウーデンマー通りを歩いているとき、書店のような場所に人が入っていくのが見えた。つられて中に入ってみると、本のある大きな部屋がいくつか見える。入って左側の部屋に、本を物色している人がいたので、そこに入って何冊か内容を見てみると、児童用の楽譜や教育書だった。全ての本の出版社名が「OTAVA」とあるので、ここはOTAVA社という出版社だとわかった。こうやって自社の本も売っているのだ。

図20-fin2

さらに奥に進んでいくと、レジの人しかいない大きな部屋に絵本がディスプレイされている。絵本だったら分かるかなと思って見てみるけど、やはりフィンランド語でさっぱり分からない。しばらく見ていて、その一角に「Beatles with an A / birth of the band」という英語で書かれた絵本が大量に飾られているのに気づいた。著者はマウリ・クンナス。どうも、フィンランドでは著名な絵本作家のようだが、「趣味はビートルズ」と公言している人らしく、その本の中身はデビュー前のビートルズを描いたコミック形式の絵本だった。

図21-fin2

うん、これはいい、ということで迷わず購入。これが相当マニアックな本で、ビートルズの4人+デビュー前に抜けたスチュアートとピートが絡むデビューに至るまでのエピソードをコミック形式で描いた大人のための絵本だった。日本では売ってないようだけど、日本語訳を出せば、案外受けるんじゃないかな。

ちなみにこの出版社、対応してくれた人もいい雰囲気だったけど、その歴史を感じる建物も素敵なものだった。表に出て建物を見上げると、建物の壁に沿って縦向きにコーティングのはがれかけた雨どいが走っていた。その雨どいの手の届くか届かないかのところに、修復のつもりなのか何とも言えない絵柄のシールが貼られていたんだけど、そののほほんとしたキャラクターに、たくさんの児童書を出しているOTAVA社の社風を見たような気がしたのでした。

図22-fin2



<おまけ>

おーっと、音楽を忘れてた。ヘルシンキではジャズ・クラブにも行きたくて、色々調べてたんだけど、結局思ったものに行き当たらず、あきらめたのだった。フィンランドはヘルシンキということで、この人のライブでもあれば何としても行きたかったんだけど。その人とは、ジャズ・トランペッターであり、ファイブ・コーナーズ・クインテットのリーダーでもあるユッカ・エスコラだ。数年前に聴いた彼のデビュー盤やファイブ・コーナーズ・クインテットのアルバムで一気にファンに。とにかくかっこよくて、センスを感じる北欧クラブ・ジャズ。皆さんもぜひ!

  Link:  Buttercup / Jukka Eskola
  Link:  1974 / Jukka Eskola


B0009MHJIK
Jukka Eskola / Jukka Eskola



にほんブログ村 音楽ブログへ にほんブログ村 音楽ブログ 好きな曲へ にほんブログ村 音楽ブログ CDレビューへ

スポンサーサイト

円い話と音楽と

Posted by Jerrio on   0 comments   0 trackback

石畳の道が好きだ。古い道だと申し分ないが、新しい道でも細かな工夫が随所に成され、周囲の雰囲気と相まっていい味を出している道であればいい。

そういう場所では、普段なら見過ごしそうな本来目立たなくていいものが、しっかりデザインされて景観の中でのちょっとしたアクセントになっていたりする。そういうものに僕は敏感に反応して「おもしろい!」と思ってしまうんだけど、そのうちの一つに、色つきのマンホールの蓋がある。そんな時、カメラでも持っていれば思わず立ち止まって、光の加減や角度を気にしつつ「パチリ」となる。夏行った松本でも、先日行った奈良でも、春に行った篠山でもパチパチやってしまった...って、別にコレクションしてるわけではないですが。

図1-131110 図2-131110
図3-131110 図4-131110
(松本、奈良、篠山のマンホール+マンホールじゃないけど篠山の道路の十字路に。。。)

マンホールの蓋を偏愛する人がいることを知ったのは、20年ほど前に読んだキャラクター・デザイナーの林丈二氏の本、「街を転がる目玉のように」だった。偏愛といってもコレクションして頬ずりしている、というわけではない。コレクターがいないとは言い切れないが、重さが50kg以上ある鋳鉄製のマンホールの蓋はちょいと拝借するにもしにくいし、収集に向いているとはとても言えない。っていうか、そういう人はすぐに警察に連れて行かれるんだろうけど。(そういえば昔、工事現場の三角コーンをこよなく愛し、深夜深酒をして帰るたびにそのコレクションが増え続けていたヤツがいたけど、彼は無事だろうか...)

図5-131110 図6-131110

その本では、日本だけでなく海外も含めたマンホールの蓋の情報を集め、写真に取り、その上で地域や国によるデザイン・設置環境の違いを挙げ、文化人類学的考察を行ったり、そのデザインからルーツをたどったりするわけだけど、まあ、そんなことをつらつら書きつつ、要は面白がっているのだ。(当時、そういうものの公的な資料はほとんど残されていない、ということで、まさに宝探し感、満載だったようで...)

ただ、文章は80年代半ばのものであり、今のマンホールの蓋事情とは少し違っているのかもしれない。少なくとも、鋳鉄むき出しの無骨な蓋ばかりで、色付きの蓋は出てこない。そのあたりからスタートした「路上観察学会」は、その後結構メジャーになったので、特に日本でのマンホール事情は随分変化し、注目も浴びて、次代を担う新しい「マンホールの蓋」の概念が形成されていったのではないか!!...なんて、そんな大げさな話じゃないんだけどね。

まあ、色がついていればいいというわけではなくて、旧来のものからのデザインの変遷を見るのもなかなか楽しいんだけど、その魅力に取り付かれて、どこに行っても下ばかり向いて歩くようになってしまうのも困りものだ。何事もほどほどに楽しむのがいいってことで。ちなみに僕の場合は、ほかにもいっぱい目移りしているので、そういう心配は無いんだけど...


さて今日の一枚。マンホールの蓋の話から入ったので、まーるいタイトルの音楽を、ということで、ジャズ・ピアニスト、ドン・フリードマンの1962年の名盤、「サークル・ワルツ」でいくとしよう。

Circle Waltz / Don Friedman
Circle Waltz / Don Friedman


CDをトレイに乗せてプレイボタンを押せば、冒頭からドン・フリードマン自身の作曲によるタイトル曲“サークル・ワルツ”が流れてくる。軽快でありながらどこか憂いを持ったメロディーと、慎重に音を選ぶように流れる音楽は、思えばとても秋に似合っている。このアルバムを包む繊細な印象は、冒頭のこの曲に負うところが大きい。

  Link:  Circle Waltz -- The Don Friedman Trio (March/2013 in Tokyo)
     (最近のライブ演奏です)

そもそもサークルワルツっていうのは、円形に並んで踊るフォークダンスの一種だけど、この曲でフォークダンスは踊りにくい気がする。なんだかいっぱい躓きそうで...静かな印象の曲なんだけど、よく聴けばドン・フリードマンのピアノ、チャック・イスラエルのベース、ピート・ラ・ロカのドラムスが展開するインタープレイは、じんわりと熱を帯び、静かに火花を散らしている。

このアルバムの素晴らしさは、“サークル・ワルツ”を筆頭に全7曲中4曲を占めるドン・フリードマンの自作曲の良さと、” I Hear a Rhapsody ” や ” In Your Own Sweet Way ”のような趣味のいい選曲、そしてそれを支える隙の無い三位一体の演奏にあるのだろう。冒頭の“サークル・ワルツ”の印象に引っ張られてしまいがちだが、アルバム全体は実にバランスのいい音楽と演奏で、ジャズの楽しさが満ち溢れている。

  Link:   I Hear a Rhapsody / Don Friedman (2007)
  Link:  In Your Own Sweet Way / Don Friedman Trio

そんなアルバムの紹介には、必ずといっていいほど「エバンス派」という言葉がついて回る。ドン・フリードマン自身、「エバンス派」のジャズ・ピアニストなどと呼ばれ続け、ひょっとして相当悔しかったんじゃないかな、なんて思ってしまう。「エバンス派」なんていうと、ビル・エバンスの演奏を崇拝するフォロアーのように感じるけど、そういう関係ではなく、むしろ当時は競い合っていたはずだ。

旬のたとえで言えば、楽天イーグルスの田中将大が2年前に最多勝を取ったとき、インタビュアーに向かって「いつまで“ハンカチ世代”と呼ばれるんでしょうね」と悔しさをにじませて語ったそうだけど、まさにそういう心境だったんじゃないだろうか。(まあここまでくれば、“マー君世代”に変わるでしょう。)

ビル・エバンスの最盛期と時期を同じくして、ドン・フリードマンも同じリバーサイド・レーベルからデビューしている。「サークル・ワルツ」はその2作目に当たり、直後にビル・エバンスに引き抜かれることになるベーシストのチャック・イスラエルとのインタープレイは、確かにビル・エバンスとスコット・ラファロの演奏を彷彿とさせる。

「一度ならずも、二度までも...」と地団太を踏んだかどうかは知らないが、チャック・イスラエルを引き抜かれたドン・フリードマンが、最も影響を受けた人物は、実は天才ベーシストのスコット・ラファロだったようだ。レコードデビュー前の50年代の中ごろから二人は競演するようになり、その演奏に大きな刺激を受けたと、ドン自身も語っている。しかし、スコット・ラファロは、当時売り出し中のビル・エバンスの元に去り、ビルはスコット・ラファロの演奏に触発され、ピアノトリオでの演奏スタイルを確立して行った。そしてスコットは、ドン・フリードマンのデビューと時期を同じくして、自動車事故でこの世を去った。

因縁浅からぬ二人はその後交わることなく、ドン・フリードマンは60年代半ばからの新しいジャズの潮流に取り残される形で消えていき、ビル・エバンスはその中でもがきながらも、自分のスタイルを貫いた。再びドン・フリードマンの名前を世に出したのは、実は日本のファンだったようだ。アルバム「サークル・ワルツ」に見られる知的で硬質なピアノ演奏が、日本ではずっと愛され続けてきたのだろう。70年代半ばの、日本のレコードレーベルでの久々のアルバム発売を皮切りに、彼は何度も来日して、日本のジャズファンを楽しませてくれている。

そんな親日家のドン・フリードマンは、78歳にしていまだバリバリの現役だ。2年程前には、なんと「サークル・ワルツ21C」というアルバムを発売して、あの「サークル・ワルツ」の録音から50年後の21世紀版でその進化をファンに届けてくれたらしい。僕はまだ聴いていないんだけど、先日YOUTUBEで今年の東京でのライブで演奏された、衰えなど微塵も感じさせない“サークル・ワルツ”の演奏を視聴して、触手がぴくぴくっとした。近々入手して、秋が日に日に深まる中、ピリッとした空気に響かせてみたい、そんな気分にさせてくれたのだった。

Circle Waltz 21C / Don Friedman
Circle Waltz 21C / Don Friedman


冬の休日

Posted by Jerrio on   2 comments   0 trackback

寒い。とにかく寒い。昨日も今日も、朝一番は太陽の光がいっぱいだったので、ついだまされて窓を開けると、待ってましたとばかり強烈に冷たい外気が忍び込んできた。やがて太陽の光にも力が無くなり、気がつけば曇り空になっている。そんな中、綿雪がちらちら舞っていたりして、窓の外のシクラメンも、風に揺られて心なしか寒そうだ。ま、当たり前かな。今日は旧暦の1月8日。先週の日曜日が元日だったしね。

この冬は、考えなきゃならないことがたくさんあって、そんなときでも、ふっと力を抜く時間が欲しいと思う。形ばかりだとしても「休日」と名がつけば特にそんな感じだろうか。さっと頭を切り替えて、車に乗り込み、小一時間走った後にお茶やお昼をして帰ってくる。再びまた迷宮の中に戻る時には、少しだけリフレッシュされている。

そんな感じで、先々週の日曜日、思い立って久々に訪れた奈良の著名なカフェ「くるみの木」で、いい感じのティータイムを過ごせた。相変わらず混んでいたけど、席待ちの時間は併設の雑貨店「Cage」やベンチのある庭で過ごせば苦にならない。薫り高いコーヒーや甘いものを少しだけ味わい、とてもいい気分になれた。

図1-130217 図2-130217
図3-130217 図4-130217
図5-130217 図6-130217
図7-130217 図8-130217

その時、一度お昼を食べに来ようよ、なんて話してたんだけど、先週の祭日、またまた思い立って「くるみの木」に2週連続で出かけてしまった。11時前に着いて、お昼の予約表に名前を書き、そのまま数キロ離れたところにある姉妹店の「秋篠の森」のギャラリー「月草」へ。12時半頃に戻って、とてもヘルシーで美味しいランチをいただき、さらにはキッチンで使う雑貨を数点とドレッシング、何故かきっちり品揃えされていた naomi & goro のボサノバのCDを2枚購入。とても満ち足りた気分で自宅に戻った。

図9-130217 図10-130217
図11-130217 図12-130217

今では、ここまで隙が無いとは言わないまでも、同じような雰囲気のカフェや雑貨店は結構ある。しかし驚くのは、この今風の「くるみの木」が、なんと26年前に開店したという事実であり、こんな結構不便な場所に、恐らく今のカフェ&雑貨ブームの先駆けとなるようなお店がつくられたことである。

そんなことを思いながら、座席からお店の中を色々眺めていたんだけど、妙に落ち着くよね、これって一体何だろうね、って話をしていた。まあそこで働く人たちから滲み出るこころざしや、インテリアや建物も含めた雰囲気かな、と言われればそれまでなんだけど、それにしても懐かしい落ち着いた気分。かつて、雪の降っている寒い冬に、隠れ家的な喫茶店で、じっくり腰を落ち着けてココアを飲んでいたときのような、そんな気分。(今はココアは飲みませんが...)

うーん、と考えて気付いた。においだ。この匂い、なんだか懐かしいよね。これって...石油ストーブの匂いなんだっけ。そうそう、そんな匂い。最近は、エアコンとファンヒーターで、ほとんど電化されていて、こんな匂いのするお店、久しぶりだよねってことになった。そう思うと、今度は薪ストーブのある場所に行ってみたくなる。さて、どんな感じなんだろう。


ということで今日の一枚。とりあえずnaomi & goroは、もうちょっとシーズンまで取っておくとして、あれ?くるみの木って、音楽鳴ってたんだっけ...う~ん、ちょっと思い出せない。もしも何か音楽がかかっているとすれば、とてもオーガニックなイメージのものなのだろう。いわゆるジャズらしいジャズではないだろうな。

でも今日は気分にまかせてジャズの愛聴盤から選ぼう。このアルバムはどうだろうか。あまり違和感はないかもしれない。ジョー・パスのジャズギターによるソロアルバム、「ヴァーチュオーゾ」だ。さて、どうでしょう。

Virtuoso / Joe Pass
Virtuoso / Joe Pass


このアルバムの録音は1973年。当時のジャズの世界はエレクトリックなアプローチが台頭し、まさにフュージョンが幕を開いたばかりの頃だが、一方でピアノのソロアルバムがたくさん制作されたのもこの時期だ。1970年のビル・エバンスの「アローン」や1971年のキース・ジャレットの「フェイシング・ユー」あたりを皮切りに、チック・コリア、ダラー・ブランド、マッコイ・タイナー等、僕が持っているだけでもその頃発売されたピアノ・ソロのアルバムはたくさんある。しかし、ジャズ・ギターのソロ・アルバムというと、なかなか珍しい。まあ、それだけ超絶技巧やアイデアを必要として、誰にでもできる代物ではなかった、ということなのだろう。

このアルバムでジョー・パスが使用している楽器はギブソンのES-175という名器だが、通常はアンプを通して弾かれることが多いこの楽器を、アンプを通さず、アコースティック・ギターとして用いている。それゆえに、通常のジャズ・ギターやアコースティック・ギターの演奏とは一味違ったシャカシャカした音で、最初こそビックリするものの、慣れてくればこのアルバムの醸し出す飾り気のない独特の雰囲気を生み出す要因であることに気付き、だんだん病みつきになってくる。

スタンダード曲をリラックスしながら一気に演奏する、そのあきれるばかりの演奏能力に圧倒される一枚だが、あえて3曲、挙げるとすれば、冒頭からその後に続く世界を予感させてくれる"Night & Day"、休日の午後を思わせるような穏やかな名曲"Here's That Rainy Day"、アップテンポでの盛り上がりが印象的な、"All the Things You Are"あたりだろうか。まあ、他のどの曲も素晴らしく、統一感のある雰囲気の中で、ジョー・パスの世界を作り上げている。いやー、名盤です。

  Link:  Night And Day / Joe Pass
  Link:  Here's That Rainy Day / Joe Pass
  Link:  All The Things You Are / Joe Pass

さすがに3週連続は行かなかったけど、外はまだまだ寒くてちょっと暖かい気分に浸りたくなる。寒いうちは花粉もあまり飛ばないだろうから、いいといえばいいんだけど、今日は家でそういう気分にでも浸ろうかな。ちょっと暖かな気分になる音楽でもかけながら、ね。


  *** 「くるみの木」の本もぜひ

私は夢中で夢をみた―奈良の雑貨とカフェの店「くるみの木」の終わらない旅
私は夢中で夢をみた―奈良の雑貨とカフェの店「くるみの木」の終わらない旅


愛おしいものたち―奈良「くるみの木」「秋篠の森」25年
愛おしいものたち―奈良「くるみの木」「秋篠の森」25年




拍手」とあわせて、こちらもポチッとお願いします!

散りゆく桜の下で

Posted by Jerrio on   0 comments   0 trackback

今年は満開のこぼれるような桜をぜひ見にいきたいと思っていた。若い頃は、純粋に桜を見るために出かけたいなんて思うことはあまりなかったんだけど...何故か人は年齢と共に花や木を愛でるようになるものらしい。

これまであまり見たこともなかった開花予想や、場所ごとの状況のチェックにも余念がなかった。寒い日も続き、例年より開花が遅れるということもあって、余裕で満開の桜の下で、おいしいものでも食べられる、なんて思ってたんだけど...あまいね!自然は微妙なのだ。

先週の日曜日、一日時間がとれたので「よし!」と朝からネットで京都の開花状況を見てみると、0~4分咲きなんて記述が。じゃあ京都はお預け。大阪にしよう!と、はりきって支度をし、東西線・大阪城北詰駅に隣接する藤田邸公園から造幣局側に橋を渡り、大川(旧淀川)沿いに帝国ホテル大阪前の遊歩道を進んで、環状線・桜ノ宮駅に抜ける定番のコースを歩いた。一本一本の木を見ればそこそこ開いているものの、総じて言えば7分咲き程度。真っ盛りの雰囲気は少なく、木によっては、まだ硬く花を閉じたつぼみが、少し濃い目の色合いを茶色い幹の重なりの上にまばらに点描し、遠目には、あのふんわり淡い一面桜色の風景には至らない、少しくすんだ感じだった。翌日の月曜日には気温も上がり、一気に満開を迎えたらしいが、たった一日の差で満足できなかったのだ。

大阪1 大阪2
大阪3 大阪4

そして昨日の土曜日。いよいよ京都だ。今度こそ、と意気込んでいた。前日の雨が少し不安だったが、午前中には雨も上がるということで、今回は30年近く関西に住んで、まだ一度も見たことがなかった八坂神社横、円山公園の有名な枝垂桜を見て、帰りにはいかにも祇園という風景の白川南通りあたりに行ってみよう、ということになった。雨も上がり日も差し始め、穏やかに花粉漂う(!)午後1時頃自宅を出たのだが...

結果的に言えば、2、3日遅かったかな、という印象だ。花の盛りは短い。こぼれるような淡い桜色の風景を期待していた目には、少しがっかりの光景が多かったが、まあ花吹雪は存分に味わえたし、桜の種類によっては満開で、しっかり花をつけた円山公園の枝垂桜も見ることができたので、上出来としよう。

京都1 京都2
京都3 京都4

散りゆく桜の下で、樹の幹に背中をつけて、静かに穏やかに宴会を執り行っている人たちを眺めながら、なんだか僕の知っている花見の宴会の喧騒を、そういえば先週今週とも、ほとんど見かけなかったなー、なんて思っていた。かつてはカラオケ機器を無理やり持ち込んで歌ったり踊ったりしているおばちゃんや、酔っ払って大声を張り上げているおっちゃん、一気飲みでえらいことになっている大学生やなんかがごちゃーっといて、あーあ、外人さんにこんなところ見せられへんなー、なんてこともあったと思うが、静かになったというか、お行儀がいいというか。好ましくはあるんだけど、なんとなく日本の元気のなさが、こういうところにも表れているような気もして、一抹の寂しさも感じてしまった。身勝手なものである。

ところで、桜の樹の下で花吹雪を眺め、その美しさを実感しているとき、一瞬狂気のような気配を感じてしまった。それは、円山公園へ向かう四条通りで、その2日前にあった大きな事故現場の交差点にうずたかく積まれていた花束を思い出したから、というだけでもない。理不尽な力で命を奪われた7人の冥福を祈りつつ通り抜けたのだが、今思えばそれは桜の満開の日だったのだろう。それに通じる狂気の発想は、今回桜を見にいこうと思った頃に思い出した2編の古い短編小説のせいだと思う。その2編とは梶井基次郎の「桜の樹の下には」と、坂口安吾の「桜の森の満開の下」だ。どちらの小説も初めて読んだとき、衝撃を感じた作品だった。

「桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことなんだよ。」という文章で始まる梶井基次郎の短編小説。結核という不治の病に冒されていた彼が桜の美しさとの均衡をとる唯一のものとして、「死」を選んでいることは、象徴的でもあり、それだけ畏れをもって桜のあまりの見事さに驚嘆している様を実感することができる。

坂口安吾の「桜の森の満開の下」は、残酷でグロテスクで強烈な作品だが、だからこそそこに表現されている舞い散る桜の美しさには、切迫感があり妖艶でもある。これは戦争直後に書かれた作品であり、戦争での体験がベースにあるのだろうが、そのたくさんの理不尽な死と、それでも毎年決まった頃に咲き乱れる、狂気さえ感じる桜の美しさは、作者にどちらも同種の残酷さを感じさせていたのだろうと推測する。

しかし、そこで思った一瞬の狂気も、穏やかな春の日差しの中、すぐに消えていった。そしてその後には、何故か空腹がやってきたのだ...あー、生きてるんですねー。


さて今日の音楽、「さくら」ということで色々考えてみたけんだけど案外出てこない。うーん、じゃあ名前連想ということで、この古いジャズボーカル・アルバム 「ブロッサム・ディアリー」なんてどうだろう。もちろん、名前の「ブロッサム」とのマッチングだが、なかなかいいかもしれない。

Blossom Dearie (+3) / Blossom Dearie
Blossom Dearie (+3) / Blossom Dearie


このアルバムは、20歳代で渡欧し、フランスでジャズシンガー、ピアニストとして活動していたブロッサム・ディアリーが、1957年、33歳でアメリカに帰国後、初めて録音したアルバムである。3年前に84歳で亡くなった彼女は、80歳近くになるまで、そのキュートな声で歌い続けていたが、どちらかといえばジャズ色をあまり感じさせない晩年だったと聞く。これはそんな彼女のジャズっぷりを堪能させてくれるアルバムで、今聴いても古さを感じさせない。

このアルバムもまた、ジャケットに魅せられて何の知識もなく購入した一枚だ。父親がスコットランド系、母親がノルウェー人という彼女は、色白でブロンド、当時はジャケットにも写っているデカメガネがトレードマークだったらしい。恐らく楽譜を広げたグランドピアノの前で歌っている姿なのだろうが、ごっついマイクとモノクロームの世界が、いい感じでとってもレトロ。パリ帰りのおしゃれな雰囲気をたっぷり感じさせる。

ヴァーブ・レコードの主宰者ノーマン・グランツ直々にパリのシャンゼリゼ通りのクラブで歌っていた彼女に目をつけ、口説き落とし契約したというだけあって、バックはギターがハーブ・エリス、ベースがレイ・ブラウン、ドラムスがジョー・ジョーンズと、名手たちを揃えて臨んでいるが、彼女のピアノはそれにしっくり馴染み、演奏面の実力も見せ付けている。声は大人の雰囲気とは対極の、ちょっと幼さすらも感じさせるものだが、その歌は上手くコントロールされていて、曲によって英語とフランス語を歌い分け、とっても洒脱だ。

恐らくジャズが最も輝いていた時代に満ちていた幸福感を、いま耳を傾ける僕たちにも感じさせてくれる、そう、まさに春を感じる音楽なのだ。

6曲目の英語で歌う“Thou Swell (ザウ・スウェル)“でしっかりとしたスイングを聞かせ、7曲目の”It Might As Well Be Spring (春の如く)“ではフランス語でしっとりと魅せるくだりが、僕はとても好きなのだが、やはり”春“なのだ。

  Link: Thou Swell - Blossom Dearie
  Link: It Might As Well Be Spring - Blossom Dearie

そう思ってアルバムの全体を眺めてみると、「Spring」のつく曲が、”A Fine Spring Day”、”They Say It’s Spring”と全部で3曲も入っている。恐らく本人も「春」を意識したんじゃないかな。

  Link: A Fine Spring Morning - Blossom Dearie
  Link: They Say It's Spring - Blossom Dearie

ちなみに、名前の「ブロッサム」は本名で、彼女が生まれたときに彼女の兄が父親のところに満開の桃の花を持ってきたことから命名されたらしい。4月生まれの彼女なので、ちょっと期待していたんだけど、桜じゃなかったね。んー、残念!ま、桃の方がそれらしいかな。


そうそう、空腹の後の話を書いてなかった。その後円山公園を後にして、予定通り白川南通りまで行った。ここ祇園の巽橋前の桜も、まさに散っていく最中だったが、通りは人であふれていた。その巽橋脇に、鉄板焼き・お好み焼きの店「たんと」がある。いつも行列のできているお茶屋さんを改造したお店だが、時間が中途半端で人も並んでおらず、図らずも一番いい席からこの時期だけしか開放していない全開の窓を通して、散りゆく桜を眺める人々をビールを飲みながら見物するという、得がたい経験ができた。祇園・ストリートウォッチングである。鉄板焼きもお好み焼きも、大満足。ごちそうさまでした。

今日はもうほとんど散っているんだろうな。自然って...微妙ですね。

京都5 京都6
京都7 京都8



  *** 文中ご紹介の2篇の小説は、著作権が切れていて、ネット上でも読むことができます。
     ちょっとグロテスクですが、よろしければ。

     Link:  桜の樹の下には / 梶井基次郎
     Link:  桜の森の満開の下 / 坂口安吾



拍手」とあわせて、こちらもポチッとお願いします!

今年のマイ・ベストあれこれ

Posted by Jerrio on   0 comments   0 trackback

一日伸びたが、ようやく仕事も納め、休みに入った。あわただしい年末だが、ちょっと一年を振り返って、自分にとっての「今年の一番」をいくつか挙げてみたい。

まず、今年一番心に残ったおいしかったもの(酒席以外)は、というと...
夏に柳川(福岡県)で食べた「若松屋」の鰻で決まりだ。

柳川は、うちの奥さんの実家から車で一時間弱で行けるので、これまでも何度か訪れ名物の鰻も食べたことはあったが、あまり印象に残っていなかった。件の鰻を口にしたのは8月12日。お盆前の暑い盛りだ。朝が遅かったので、昼を少し過ぎた頃、にわかに思い立ち出発。炎天下の水郷めぐりは拷問に近いと思うが、やはり人はまばらだった。(それでも乗ってる人、いました!)

北原白秋の生家裏にある駐車場に車を止め、そのまま生家を少しのぞいた後、川沿いの道に出る。水郷めぐりの発着所のあたりまで来ると鰻のいい香りが...見れば旅館のようなたたずまいの一角に「若松屋」の文字、その下に由緒正しそうな「まむし」の看板もかかっている。昼も随分過ぎているので、この感じだとまさか混んでないだろうな、と思い、中をのぞくと...なんとそこは食べる場所ではなく待合所。人がびっしり待っている。結局待つこと30分、2時を過ぎてようやくありつけた。

僕はせいろ蒸しを頼んだのだが、一口目でその深い味に魅了された。鰻ってこんなにおいしかったの?みんなで顔を見合わせる。とにかく炭火の移り香とともに口の中いっぱいに拡がる鰻の滋養に富んだ旨みと、米粒ひとつひとつに染みわたっている「たれ」のふくよかな甘さに、最後まで圧倒された。この歳になるまで鰻のおいしさがわからなかったなんて、ごめんなさい!来年も食べに来るから許してちょうだい!って気分だった。(今度は蒲焼にするったい。)

yanagawa-1 yanagawa-2
yanagawa-3 yanagawa-4


次は、今年一番の風景。
これはいろいろあるが、やはり夏に行った高知の桂浜かな。

ご多分にもれず、NHKの「龍馬伝」を欠かさず見ていたので、熱いうちに桂浜を見ておきたかった。夏、愛媛の実家に帰ったとき、このために一日確保。かつては同じ四国内でも高知に行くには山越えが必須で、日帰りできるような場所ではなかったが、今は高速道路が整備され実家からでも片道3時間で行くことができる。便利になったものだ

天気はそれほど良くは無かったが、この暑い夏のこと、少し日が翳るくらいでちょうどよかった。「龍馬伝」の人気からすればもっと人であふれているかと思ったが、まだお盆までは少しあったので、それ程でもなく、坂本龍馬記念館も桂浜も、ストレス無く楽しめた。

桂浜は、瀬戸内海で育った僕にとっては、恐ろしいくらいに荒々しく壮大だった。きれいに保たれた海岸の波打ち際に近寄り、パノラミックな視点で水平線をゆっくりと眺めれば、その先の遠い世界に思いを馳せた龍馬たちの高揚感が伝わってくるような気がする。まさしく人間のスケールに影響を及ぼすような海岸だった。

katsurahama


さて最後は、やはり今年一番の音楽で締めたい。とはいえ、既に色々紹介もしてきているし、今年買ったアルバムでもまだ十分聴けてないものも多いので、なかなか選ぶのは難しい。でも強いて挙げるとすれば、今年の春リリースされ、色々な意味で、参ったな~!と思わせてくれたDVD&CDセット、バーブラ・ストライザンドのビレッジバンガードでのライブ盤 「One Night Only」 にしよう。

One Night Only / Barbra Streisand Live at the Village Vanguard
One Night Only / Barbra Streisand Live at the Village Vanguard


バーブラ・ストライザンドは言わずと知れた米国ショービズ界の大スター。歌手としてスタートし、アカデミー賞主演女優にして、作曲家、映画プロデューサー、映画監督。オスカーを2回とり、グラミー賞は10回。恐らく米国で最も多才で、最も成功した女性だろう。そればかりではなく、民主党の熱烈な支援者としての顔も持ち、ビル・クリントンが大統領候補になったときは資金集めのコンサート等で、大きな影響力を発揮した。

昨年、ダイアナ・クラールをプロデュースに迎え、ジャズのスタンダードナンバーを歌った「Love is the Answer」で久々に楽しませもらったが、僕にとってのバーブラは、なんと言っても学生時代に大ヒットした、アンディー・ギブ(ビージーズ)のプロデュースアルバム「ギルティー」での彼女だし、その頃名画座で何度も観た映画「追憶」の中での彼女だ。

現在68歳の彼女が、ショービス界に入って50年目の節目に出した作品だ。しかもジャズの名門、ビレッジ・バンガードでのライブ盤である。もう何も考えず購入して、恭しく観る他はない。

彼女はジャズの世界の人ではないし、こんなことを言っては申し訳ないが、飛びぬけて美人というわけでも、美声の持ち主というわけでも無いと思う。しかしこのライブを見ていただいたらわかるが、何の隠し立てもできないこの小さな空間で、ピアノトリオ+ギターのカルテット演奏にのせて、軽妙なトークを交えながらこれまでの思いのこもった曲を次々と歌う彼女の姿は、本当に魅力的で輝きに満ちている。彼女の持つ強さと弱さ、その説得力、たどってきたさまざまな道とそれに連なった人たちへの感謝の思いを、彼女の表情とともに、観客の姿の中に十二分に見ることができる。本当に充実したライブ盤だ。

ビレッジ・バンガードはニューヨークにある小さなライブハウスだ。ライナーノーツを見ると、2009年9月26日、シート数は123席とのこと。そこに立錐の余地はない。そんな小さなライブハウスでの濃密な一夜である。一般の人はほとんどいないのでは、と思うが、この場所に居合わせられる喜びは如何ばかりだろう。

客席には、最前列に「Sex and the City」のサラ・ジェシカ・パーカーが座っている。その上辺りには、バーブラの現在のご主人であるジェームス・ブローリンが愛情あふれる眼差しで見守っている。二コール・キッドマンのはしゃぐ姿も見える。クリントン元大統領も一観客として座っている。少しはなれたところには超多忙のヒラリー・クリントンと娘さんもいっしょだ。恐らく他にもたくさんの有名人がいるのではないだろうか。

終盤、エバーグリーン(「スター誕生」愛のテーマ)の紹介では、まだ大統領でなかった頃のビル・クリントンがエバーグリーンが好きだと言ったので、大統領になったら就任式で歌ってあげると約束して、それを実現させてくれて光栄だった、とエピソードを語っている。それをクリントン元大統領は客席で一観客として片肘をつき眺めている。

それを見ながら、今頃になって、かつて感じたことがあるもやもやが一つ解けた気がした。当時クリントン大統領とヒラリー夫人との関係を見ながら、どこかで似たような雛形を見たことがあるな、と思っていた。そうか、僕はこの二人に、映画「追憶」の中の、レッドフォード演じるハベルとバーブラ演じるケイティーを見ていたのだ。確かクリントン夫妻も学生時代に知り合っている。政治の世界に入ってからも、様々な問題が発生するたびに男の弱さを見せる元大統領と、悩みながらも毅然と立ち回るヒラリー。そして彼女の政治への思いは尽きることなく、初の女性大統領を目指したその姿は、この追憶の二人のイメージと重なっていた。

そんなことを思いながら観ていると、アンコールでやはり来ました。「追憶」のテーマ「The Way We Are」。バーブラのハミングの前奏は誰もが待ち望んだものだ。拍手と歓声からそれは伝わる。この音楽を聴きながら、最前列のサラ・ジェシカ・パーカーがぼろぼろ涙をこぼしている。これはたまりません。僕があの場にいたとして、目の前でこれを歌われたら...

ということで、今年リリースした音楽作品での一番はこれで決まり。人生の機微を感じさせてくれる一枚だった。

今年ももう直ぐ終わる。この歳になると一年は本当に短い。あまり先のことはほどほどにして、目の前のことをしっかりと見ていたい、とも思う。3ヶ月前に始めたこのブログも、飽きっぽい性格の割りにまだ続いている。よしよし、一歩ずつだ。

ご訪問していただいた皆様。ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。
では、良いお年を!



拍手」とあわせて、こちらもポチッとお願いします!